|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 林 : [はやし] 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket ・ 仁 : [にん, じん] (n) kernel ・ 海軍 : [かいぐん] 【名詞】navy, Navy ・ 軍 : [ぐん] 1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops ・ 軍人 : [ぐんじん] 【名詞】 1. military personnel 2. soldier ・ 人 : [ひと] 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
小林 仁(こばやし まさみ/まさし、1890年6月18日 - 1977年8月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。山形県立米沢中学校、海軍兵学校(38期)卒業。 == 経歴 == ===大佐昇進まで=== 旧米沢藩の農家に生まれる。山下源太郎、黒井悌次郎、南雲忠一ら同郷の先輩と同様に、米沢中学より兵学校に進む。米沢海軍武官会会員。兵学校での卒業席次は149名中4位。戸塚道太郎、栗田健男、福田良三、杉山六蔵、三川軍一、五藤存知ら、太平洋戦争で司令長官・司令官を輩出したクラスにあたる。 兵学校卒業後は巡洋艦「笠置」を皮切りに、戦艦「朝日」に乗り組み、イギリスで新造した「金剛」の回航委員としてイギリスへ出張している。帰着後に砲術学校・水雷学校で学んだ。1916年に海軍大学校乙種・専修学生として研鑽を積んだ後は、敷設船「勝力」、海防艦「秋津洲」の航海長を歴任し、もっぱら航海畑の色が濃くなる。少佐昇進を目前とした1921年には再び大学校の門をたたき、甲種学生としてステップアップを図った。 1922年に少佐へ昇進。1927年に中佐へ昇進するまでの5年間、上海に駐留する砲艦「比良」艦長を1年、アメリカ駐在を1年半、さらにアメリカ大使館附武官補佐官を1年間と、大半を海外勤務に費やした。 1927年より大佐昇進までの4年間は、海軍省人事局で勤めた2年間がもっとも長い。1930年よりしばらくは、海軍省・軍令部出仕の無任所となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林仁 (海軍軍人)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|